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「お言葉ですが・・・」から

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そもそも
「もんじゅ」はインドの仏さまで
本名は「マンジュシリ」という。
千五百年ほど前、この仏さまが支那に入って、
漢字で「文殊師利(もんじゅしり)」
もしくは「曼珠室利(まんじゅしり)」と書かれた。
通常は下半分を省略して「文殊」「曼珠」と言っている。
 
日本ではもっぱら「文殊」を用いるが
マンジュシャゲだけは「曼珠沙華」と書く。

・・・・・

満洲国のこの「満洲」も仏さまの
「マンシュ」である。「文殊」と「満洲」、
漢字で書くとまるで無縁みたいだが
おなじ言葉なのだ。

戦前の日本人が「満洲」と呼んだ地域、あそこには昔、
ジュルチンという民族が住んでいた。
漢字では「女直」もしくは「女真」と書く。
明の時代、十六世紀から十七世紀に強くなった。

ジュルチンは仏教を信仰したが
特にマンジュ菩薩を尊崇した。
そこで自分たちの民族名も「ジュルチン」をやめて
「マンジュ」とした。
のちに漢字を使うようになると
これに「満洲」の文字をあてた。

・・・・・

昔から支那の各王朝はみな、
五行「木・火・土・金・水」のいづれかを
王朝のシンボルとする。

明王朝はそれが火であった。
これを「明は火徳(かとく)の王朝である」というふうに言う。

ホンタイジ(皇太極)すなわち清の太宗は
明に対抗するために、民族名は「満洲」、
国名は「清」、と全部サンズイでそろえた。
「水徳(すいとく)の王朝」としたわけである。

水は火に勝つにきまっている。この作戦(?)は
大成功して、ホンタイジ自身はもうちょっとのところで
戦死したが、むすこの順治帝の時に
明をほろぼして、「中国」に覇をとなえることになる。

・・・・・・

(^^)この一文は
高島俊男さん著作、「お言葉ですが・・・」文藝春秋社のなかの
「もんじゅマンジュ」から(^_^)(^_^)(^_^)

日ごとに暑さがつのりますが
「知」を刺激してくれる一文に
めぐり合うと、しばし
暑さもやわらぐ・・・・・と言うものです!!!(^_^)V