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アナゴを釣りに

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月岡芳年・・・・幕末から明治前期にかけて
活躍した浮世絵師、「血まみれ芳年」などと残酷絵を描いたことから呼ばれもしたが、「最後の浮世絵師」と評価されている。

なんでも鑑定団(再放送)で「月百姿」という
百枚にもおよぶ連作が出展されたのを見ました!(^^)

素晴らしい!!!(@@)V

地デジの画面の美しさにも
よったのかもしれませんが

色彩がとても
美しかった!!!(@@)(@@)

パソコンで調べたら
ありましたので

ここに貼り付けておきました!(^^)
http://www.google.co.jp/search?q=%E6%9C%88%E5%B2%A1%E8%8A%B3%E5%B9%B4&hl=ja&rlz=1T4ACAW_jaJP343JP343&prmd=imvnso&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=m8S_Tt_AIarNmAXOmIT6Cw&ved=0CFQQsAQ&biw=1245&bih=796&sei=n8S_Tpi7KuvnmAXhxfTHBA

特に「赤」の色彩が見事です!!!

そういえば・・・

アナゴの首を切っても
人間と同じ血がでるな・・・・と(^^:)

思い思いしながら・・・(^^;)(^^;)

アナゴの夜釣りを

して

まいります・・・・(^^;)(^^)

お手をどうぞ

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神戸 21℃ 16℃
室温 19℃

イロハの手をそっと
持ち上げます・・・・(^^)

とっても
暖かい!(^^)(^^)

それに・・・

手をあずけたまま
目をつむったまま

なすがまま・・・・(^^)(^^)

こんなに抵抗しないのも
なんだかなあ・・・・・・(^^;)

と言った
ひとときが昨日ありました!(^^)

さて

お話しは
テから足へと・・・(^^;)

最近・・・考えてみたら
かなり前から?

自身のことですが・・・(^^;)

足裏が熱いぜよ!!(^^;)(^^;)

そして
意識するればするほど
眠りが浅く・・・オメメぱっちり頭どんより・・・(@@)(^^;)

これって
病気?

とパソコンの検索で
勉強すると

血行が悪いんだそうで

これには
びっくりこいた!!!(^^;)(^^;)

毎日、スロージョギングしているから
てっきり

血行が良すぎるんだと
思っていました!!!(^^;)(^^)

対処法も
いろいろ述べられていましたので

以後、十分に
ケアを致す所存で

あります・・・・・(^^;)(^^)

へにまる

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神戸 21℃ 16℃

へ に「○」・・・

ようするに「ぺ」と言うことで
ぺの前につく言葉は

最後っ「○」!

と言うことなんですが(@@;)

よくもよくも

「ノブタ」によって、それを
われわれは嗅がされたわけで・・・・(@@)(^^)

TTぷーはシナリオどおり
実質、参加表明と変わらない運びとなりました・・・(^^;)

昨日のTTP集中審議における
最後の最後の質問者・・・社民党のフクシマミズホタンが

「国会でTTP参加するとはっきり言いなさいよ!!!」と
怒っていた姿が一番印象的でしたナ・・・(^^;)(^^)

国会軽視・・・・国民愚弄・・・

慇懃無礼・・・厚顔無恥・・・アメリカ様のポチ3号・・・

あの「ノブタ野郎」の詭弁に
まんまと担がれた反対派議員、慎重派議員の

これまた、玉虫色のコメントが
なんともなさけない!!!(^^;)(^^;)

山田前農水相・・・原口元総務相・・・らの自己満足発言は
はなはだ

あかばかしく

「????」
「あほちゃうか」と

ついテレビに向かって
毒ついたことでした・・・・(^^;)

ワタクシのように
政治に関しての語彙の少ないものが

あれこれ
うそぶいても

隔靴掻痒でいらいらするばかりだから
「ほんまや、ほんまや」と

思わせてくれる文章を
探してきましたから

ここに
付記いたしておきますので・・・・

よろしかったら
お読み下さい

ませませ!(^^;)(^^)

・・・・・・

「今更、日本が”参加表明”をしても、来夏にまとまる予定のルール策定作業に実質的には加われない可能性が濃厚である」というのが実態なのである。
したがって、本日の野田首相の記者会見内容は、TPP参加を前提とした承認申請であり、実質的な「参加表明」に等しいと解してよいであろう。

堂々と「参加表明」することなく、最後までこのような姑息な”言葉遊び”を弄して、議員連中や国民を騙さんとする”詭弁”をおこなう野田佳彦という男は、ここ最近の低俗な総理大臣らの中でも、トップ級の”悪人”と断じてよいであろう。

更に、舌の根も乾かぬうちに野田佳彦は、同会見後、早速に官邸にて、”ジャパンハンドラー”の重鎮の一人であるキッシンジャーに「TPP参加」の成果報告をするという”二枚舌”ぶりまで発揮したのであるから呆れたものである。

また、この際であるから、野田首相の会見の中で、以下の通り、いくつか激しい違和感を覚える内容があったことも付け加えておきたい。

「分厚い中間層によって支えられる安定した社会を再構築する」

「貿易立国として今日までの繁栄を築きあげてきた我が国が、現在の豊かさを次世代に引き継ぎ、活力ある社会を発展させていく」

まず、”分厚い中間層”という言葉であるが、この男は一体いつの時代の話をしているのであろうか?
「一億総中流」など、とっくの昔に崩壊しており、今や一握りの富裕層と大多数の下流層というのが実態である。
”分厚い中間層”などもはや日本には存在せず、時代錯誤も甚だしいコメントである。

更には、”現在の豊かさを次世代に””活力ある社会を発展させる”とのコメントについても、まったく実感できないものである。
現在「豊かさ」を感じている国民などまずもっていないことは自明であり、「今の日本社会にそもそも”活力”などない」のが実情である。

これらの”空虚な言葉”の羅列により、一層、野田首相の会見内容を聞いた際の「苛立ち」が増幅した次第である。

兎にも角にも、本日、事実上の「TPP参加」宣言がなされた訳であり、今後、我々国民は、如何にして”アメリカの魔の手”を避け、如何にして生き延びるかの術(すべ)を考えてゆかねばならないであろう。

思わず涙がポロリ

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神戸 18℃ 15℃

今朝はこの記事を読んで
思わず

涙がポロリ・・・・(^^;)(^^;)

・・・・・

今年8月29日の出演を最後にテレビ画面から消え、9月30日に「体調不良」を理由に『news every.』(日本テレビ系)降板することが発表された丸岡いずみキャスター(40)。この休養を巡っては、さまざまな憶測が飛び交い、「視聴率が低迷した責任を感じたストレス」や「上司のプレッシャー」などと報じられた。だが、実際は違ったようだ。テレビ局関係者はこう証言する。

「“震災うつ”だったようなんです。丸岡さんは3月11日の震災直後から被災地入りしていました。当時は、泊まるホテルを選べるような状況ではありません。丸岡さんは水も出ない安ホテルに宿泊し、お風呂にもはいれず、下着も替えられない状況だったんです。それでも不満ひとついわずに取材していました」

もともと、仕事は手を抜かずに常に全力投球だったという彼女。肉体的な疲労が限界に来るなかで、凄惨な現場を目の当たりにしていった。

「ヘリコプターで移動して、いちばん被害が大きかったところを中心に取材したので、目を背けたくなるような遺体の数々を見てきました。また、飛んでいるときに、学校の屋上などから助けを求めて手を振っている人がいても、報道のヘリでは救助もできない。そうしたことに無力感も感じてしまったようです」(前出・関係者)

極限ともいえる状況で、丸岡は追い詰められていく。取材を終えて東京に帰ってきた丸岡の目はうつろで、焦点も合っていなかったという。

直接、震災の被害を受けていなくても、“震災うつ”になってしまう人は丸岡だけではなく、ほかの記者やカメラマンにもいるといわれている。

※女性セブン2011年11月24日号

落ち着く先は?

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神戸 17℃ 13℃

どうも
この頃・・・

イロハが二度寝に入ろうとする
その場所に

迷いがあるらしく・・・(^^)(^^)

うろうろ
うろうろ

どこかいい場所がないかと
探しているのが

気の毒で・・・・(^^;)

ついつい
お布団の中に押し込むのですが

そこも
安楽の場所でないらしく

すぐに
出てきます?

部屋の温度は
16℃・・・・(AM3:45)

まだまだ本格的な寒さは
10℃を下回ってからダゾ!!(^^;)(^^)

結局、掛け布団の上で
丸くなって

寝ようとしています!

仕方ないので・・・・(^^;)

ワタクシの
足元の

電気ストーブを
800ワットにして

約2メートル、彼女から離して

彼女に向けてやりますと

ずいぶん、

落ち着いて
すやすやすやすや・・・・・(^^;)(^^)

もう少し
寒くなれば

布団の中に
アンカを入れようかと

思っています・・・・・(^^;)(^^)

ノダメが暴走

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神戸 19℃ 13℃

最低気温が昨日から
週末まで

ずっと、こんな調子・・・・なようで

そうしておいて
来週、また一段の寒気が来て

次第に
冬らしくなる・・・ようで

致し方ない・・・かな

自然に対しては
あらがいようが

ありません・・・・(^^)

が!!!

おおいに

あらがってもらわなければ
ならないのが

ノダメの暴走だ!!!(^^;)(^^;)
(ノダメの背中にはピタリと仙ダニがくっ付いている)

自民・公明・国民新党・社民・共産・新党日本
これらは党としての見解を

TPP参加反対と一本にまとめている!

加えること
民主の半分が反対!

ようするに

参加賛成は
みんなの党と民主の半分だけだ!!

このことから
国民の総意は

反対、ないしは慎重に・・・
拙速な判断に組しない

ということ!!!

これを
総理大臣だからといって

あやつ(ら)の独断を
ゆるしてよいのか!!!

ノダメが暴走すれば
即決!

内閣不信任案を提出し総辞職に追い込むか

総理を憲法違反で(国民の総意を無視しているから)訴えるか

あるいは
民主の半分が離党をするか

または国会で全議員の参加不参加の
議決をとるべきであろう!!!

それだけ「TPP」は国民の生活に
直接影響してくる内容を含んでいる
ということだ!

とにかく

おおもめにもめてもめて
もめるべし!!!(@@)

昨日の釣果

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昨日の釣果ですが
いまいち~~~~でした!(^^;)(^^)

潮がゆるくて
ダラダラ~~~~状態!

浮きがほとんど動かず
開始から終了までずっと同じ

おまけに

AM4時前後が満潮の
潮どまりでしたから

まことに
激シブのタチウオ釣りと
なりました!

そんななか

Oさん5匹(内1匹、指一本半・・・皆が逃がせよと言うのに取り込む!)
Sさん4匹(内、1匹指四本・・・皆がうらやむ!)
ワタクシ2匹(2匹とも指三本と皆には言ったが厳密には指二本半)(^^)(^^)

第二ラウンド・・・アジ狙い

地元のおっちゃん達と言っても四、五人ぐらいしか
来ていませんでした!

彼らは夜明け前の暗いうちから来て
夜明けが過ぎ
30分ほどして・・・・

アジの群れが急に居なくなると

あっという間に帰って行きました!!(@@)

近々のアジ状況のつかめなかった
ワレワレは

彼らが居なくなってからでも
まだ釣れる・・・・と思って
さびいていましたが・・・

レンガ(アミえび)半分を残して
終了・・・・これが夜があけてからの一時間・・・

ようするに
ワレワレは

30分間しか
アジが釣れなかった・・・と言うことです!(^^;)(^^)

で、結果
Oさん6匹
Sさん7匹(他に4匹飲ませでヒラメをねらった!がハズレ)
ワタクシ12匹(酢漬けに丁度良い大きさに育っていました)(^^)

あと・・・・

ワタクシだけ
皆に遅れをとった感じでしたので

隠し持った
擬似餌のゴカイで

カワハギ3匹ケット!
(須磨浦漁港はカワハギシーズン、すでに終了しました)

まだなんとか居残っていた
カワハギでした・・・・(^^;)(^^)

AM8:30帰宅

淡路島へ

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タチウオとアジをねらいに
いざ

GO!!!(^^)

三人旅です!

北北西の風3m/s~4m/s
波1mのち0.5m

最低気温17°C

11月に入って
初めての釣行ですが

そろそろシーズンも
終盤を迎え

釣果は
厳しくなってきそうです!

が、

愉快に

楽しんできたいと

思います!!!(^^)(^^)V

汪兆銘

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神戸 22℃ 19℃

イロハのこととか
身辺雑記を
今日は少し離れたところに

なぜか
頭が働きます・・・・(^^)

汪兆銘出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

汪兆銘(汪精衛)

南京国民政府主席時代の汪兆銘
プロフィール
出生: 1883年5月4日
(清光緒9年3月28日)
死去: 1944年(民国33年)11月10日
日本国愛知県名古屋市
出身地: 清国広東省広州府三水県
職業: 政治家・革命家
各種表記
繁体字: 汪兆銘(汪精衛)
簡体字: 汪兆铭(汪精卫)
ピン音: Wāng Zhàomíng (Wāng Jīngwèi) 
通用ピン音: Wang Jhàomíng
注音符号: ㄨㄤ ㄓㄠˋ ㄇ|ㄥˊ
注音二式: Wāng Jàumíng
和名表記: おう ちょうめい
発音転記: ワン ヂャオミン (ワン ジンウェイ)
ラテン字: Wang Chao-ming (Wang Ching-wei)

汪 兆銘(おう ちょうめい、1883年5月4日 - 1944年11月10日)は中華民国の政治家。字は季新。号は精衛(中華圏では「汪精衛」と呼ぶのが一般的である)[1]。知日派として知られた。原籍は浙江省紹興府山陰県(現在の紹興県

・・・・・
南京政府成立 :日中戦争の勃発に伴い、蒋介石は日本との徹底抗戦の構えを崩さず、日本側も当時の首相近衛文麿が「爾後國民政府ヲ對手トセズ」とした近衛声明を出し、和平の道は閉ざされた。日本は蒋介石に代わる新たな交渉相手として、日本との和平交渉の道を探っていた汪兆銘の擁立を画策した。

汪兆銘は日本の軍事力を背景として、北京の中華民国臨時政府や南京の中華民国維新政府などを結集し、1940年には蒋介石とは別個の国民政府を南京に樹立した。汪は自らの政府を国民党の正統政府であるとして、政府の発足式を「国民政府が南京に戻った」という意味を込めて「還都式」と称したが、連合国側からの承認は得られなかった。また、日本の同盟国だったドイツは、蒋介石政府軍事顧問だったアレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンの意見を採用し、日中戦争では日本が敗北すると見ていたため、承認を躊躇し、承認したのは1941年7月になってからだった[1]。

参戦と「主権回復」 [編集]1943年1月9日、独立政府としての実力を整えた汪兆銘政権は米英に対して宣戦を布告し、同時に日本との間に日本が中国で保持していた専管租界の返還と治外法権の撤廃に関する協定を締結した[2][3]。日本側は両国の提携拡大によって汪兆銘政権による中国の「物心両面の総動員」が日本の戦力整備に寄与することを期待した[2]。さらにイタリア政府は1月14日に自国が保持していた専管租界の返還と治外法権の撤廃を声明し[3]、フランスのヴィシー政府は翌2月23日に自国が保持していた4ヵ所の専管租界の返還と治外法権の撤廃を声明した[3]。これにより辛亥革命以来、中国の開放に不可欠な要件とされた不平等条約の中核である「治外法権の撤廃」と「租界の回収」が実現した。日本の『朝日新聞』は「中国の実質的な自主独立が達成された」と報じた[2]。

消滅 [編集]汪兆銘政府は、外交・内政において日本の介入を受け、日本政府が第二次世界大戦における日本軍の戦況悪化と共に重慶政府との和平を目指すようになり、さらには民衆の支持も得られなかったことから孤立し、1944年に汪兆銘が病死すると更に求心力を低下させた。同政権は1945年の日本の敗戦と共に消滅した。今日では汪兆銘政権を傀儡政府と見なすのが一般的である
・・・・

なぜ「汪兆銘」に
こころがひっかかるのか
わかりませんが・・・・(^^;)

杉森久英「人我を漢奸と呼ぶ」を一昨日
読了し(伝記)

今また
上坂冬子「我は苦難の道を行く」汪兆銘の真実 上巻

読み始めました・・・・(@@)

季節はずれ

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神戸 24℃ 19℃

今日の夜までが
このたびの

季節はずれの
暑さだそうです!(^^)

太平洋高気圧は後退…
代わって4週連続の土日に低気圧が到来。
この低気圧通過をきっかけに日本付近の高度が低下

来週の立冬には平年並みか
低い傾向になりそう・・・と言うことです!(^^;)

なんだか
晩夏から一挙に初冬・・・?

秋はどうなったの??(^^;)(^^;)

と、言う
感じ!!!(^^;)(^^)

ワタクシの
「粕汁」どうしてくれるの?

と言った
具合です・・・・(^^;)(^^)

もう三日三晩
粕汁をすすって

美味しいと言う
感激がなくなりました!

なんとか
消費しなくてはと言う

苦痛だけが・・・・(^^;)

ですが・・・

よくないこともあれば
よいこともある・・・のが人生!

人生・・・浮き沈み・・・(^^)

今朝の
ワタクシの

血圧:114-69mmHg
   P-64

(^^)V