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冬十番?

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神戸 6℃ 1℃

またまた冬型低気圧の
お通りだい!(^^;)

首をすくめて
できるだけ、すみやかに
お通り願おう!!!(^^)

血圧の測定も
袖をまくらずに

厚着をした上から
測るのと

薄着で測るのとでは
あきらかに
厚着の時の方が
高い・・・と出ますから

仕方ないとは言え

こういったことも
含めて

早く厚着から
開放されたいものです!!!(^^;)(^^)

さいわい
今回の冬型は

周期が短く
本日をやり過ごせば

すぐにも
寒さは多少、

緩むようです・・・・・(^^)

ただし

晴間も長続きせず
週明け・・・二日間は

春の雨・・・と
なる模様!(^^;)(^^)

それも
季節が進む証しと見て

寒さからの
開放を楽しみに
待ちましょうぞ!!!(^^;)(^^)

と、

自らを

慰める・・・・

今朝で
あります!!!(^^;)(^^)

そうして・・・

またまた
慰める・・・と来ると

やはり、何といっても
イロハ庵さんの
登場・・・が

期待されます!!!(^^)(^^)

・・・・・・・

「春の雨 はるさめしゅたいで 春巻だい」
「春の雨 箸にからむや そばのつゆ」 
「春の雨 鉄火巻きには にゅーめんぞ」 桃杏

暦の上では

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神戸 8℃ 4℃

暦の上では
寒明けて、すでに
10日あまり過ぎましたが

なかなか・・・春の実感からは
程遠いところに
居りますバッテン!(^^;)

ここ数年の
2月15日の気温を
調べて見ました!(^^)

我がブログの
表題も一緒に書き出しました!(^^)

2012=春の便り  10℃ 5℃
2011=積雪5cm  8℃ 2℃
2010=今日の予定  8℃ 6℃
2009=つかずはなれず  14℃ 8℃
2008=久しぶりの楽焼  記述なし

・・・・このような具合で(^^;)

2009年を除いては
まずまず

本日の最高最低気温も
例年並み・・・・(^^;)

とりたてて
異常はない・・・と言えるようですが(^^;)

しかし
感覚的には

いつまで続く・・・この寒さ
かな・・・です!!(^^;)(^^)

「いつまでも 風の尖りて 春寒し」 桃杏

・・・・・・

「ねておきて 大欠伸して 猫の恋」 一茶

「恋」は、「来い」ともとれる。言い換えれば、果報は寝て待つよ・・・と言う意味か?(^^)(^^)

この句の制作年代は
彼の何歳の時のものか
詳しくはわかりませんが

一茶自体・・・どのような人だったのか
いままで・・・

あまり興味が
なかったので
素通りして来ましたが

64歳半ばで死去・・・というところで
引っかかるものを覚えましたので

ウィキペディアの記述・・・
略歴のところを

そっくり
転載してきました!(^^;)(^^)

以下の文章です!(@@)

この方も
なかなか大変な人生だったようで・・・・(@@;)

でも、したたかなところと
哀しみをユーモアに変える姿勢には
大拍手です!!!(^^)(^^)

宝暦13年(1763年)信濃北部の北国街道柏原宿(現長野県上水内郡信濃町大字柏原)の中農の長男として生を受ける。3歳の時に生母を失い、8歳で継母を迎える。継母に馴染めず、安永6年(1777年)、14歳の時、江戸へ奉公に出る。

25歳のとき小林竹阿(二六庵竹阿)に師事して俳諧を学ぶ。[3]

寛政3年(1791年)、29歳の時、故郷に帰り、翌年より36歳の年まで俳諧の修行のため近畿・四国・九州を歴遊する。

享和元年(1801年)、39歳のとき再び帰省。病気の父を看病したが1ヶ月ほど後に死去、以後遺産相続の件で継母と12年間争う。父の発病から死、初七日を迎えるまでの約1ヶ月を描いた「父の終焉日記」は、私小説の先駆けと言われる。一茶は再び江戸に戻り俳諧の宗匠を務めつつ遺産相続権を主張し続けた。

文化9年(1812年)、50歳で故郷の信州柏原に帰り、その2年後28歳の妻きくを娶り、3男1女をもうけるが何れも幼くして亡くなっていて、特に一番上の子供は生後数週間で亡くなった。きくも痛風がもとで37歳の生涯を閉じた。62歳で2番目の妻(田中雪)を迎えるも老齢の夫に嫌気がさしたのか半年で離婚。64歳で結婚した3番目の妻やをとの間に1女・やたをもうける(やたは一茶の死後に産まれ、父親の顔を見ることなく成長し、一茶の血脈を後世に伝えた。1873年に46歳で没)。

残された日記によれば、結婚後連日連夜の交合に及んでおり、妻の妊娠中も交わったほか、脳卒中で58歳のときに半身不随になり63歳のときに言語障害を起こしても、なお交合への意欲はやむことがなかった[4]。

文政10年閏6月1日(1827年7月24日)、柏原宿を襲う大火に遭い、母屋を失い、焼け残った土蔵で生活をするようになった。そしてその年の11月19日、その土蔵の中で64年半の生涯を閉じた。法名は釈一茶不退位。

流れに掉さす

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神戸 8℃ 3℃

<真実を隠蔽・嘘をついている東電>
 3・11以後の国会も政府もぶざまな姿をさらけ出していた。史上空前の最悪事故事件に対して、各党とも真っ向から質問しなかった。自民党から公明党、共産党までが。不思議な日本の議会政治を世界に印象付けた。亀井静香は「みんな金を握らされている」と地団太を踏んでいた。
 昨年暮れの12・16総選挙の勝利者は、したがって存在しなかった。自民党の全有権者の得票率は10%台である。こんな多数党が世界にあろうか。しかも、この数字にも不正疑惑がかかっている。正当性など無い政府与党である。恥ずかしくも悲しい日本の政府と議会なのである。
 国会が立ち上げた事故調査委員会が「福島1号機の建屋の現場を見せてほしい」という国政調査権の行使に対して、東電は「現場は真っ暗で無理だ」と嘘をついて中止させた。

<地震による重過失犯罪は確実>
 なぜ東電は、国権の調査要請に嘘と隠ぺいで応じたのか。いうまでもない。東電は「地震対策をいい加減に放置してきた重過失犯罪事件」との真実が判明するからである。
 「津波による不可抗力事故」で逃げ切るための国会事故調対応だった。東電は、国権の最高機関である国会に嘘をついている。明々白々であろう。誰もそう思っている。質問者だけではないだろう。
 不思議なことは、質問者から「証人喚問せよ」の叫び声がなかった点である。民主党代表は3・11処理当時の海江田だから遠慮したものか。菅直人・枝野幸男・海江田万里もともに証人喚問すれば、真相はほぼ明らかになろう。むろん、当時の東電会長・社長も、である。
 これが実現するかどうか、日本の民主主義が問われている。もし、実現しないと、日本の民主主義は存在しないことが立証されることになる。すなわち、主権者は日本国民という憲法宣言がまやかしに過ぎない、ということになる。国際社会で通用しない5等国、米国の属国であることが鮮明になろう。

・・・・・・

上の文章は
ある論説の一部ですが・・・・

ワタクシとしては
とっくに・・・5等国であること
鮮明だと言いたい!!(^^;)

そもそも
不正選挙政権だとの
疑いを晴らさない・・・・
腑抜けな国会議員たちで構成された
国会審議なんて

それは、まるで濁流を
眺めている
感覚でしかない!

それが
あれよあれよと
勢いを増しつつ
流れ下っている!!!

そこへまた、さらに
ネット選挙解禁を
与野党で賛成なんだって!!!(@@;)

<なりすまし防止という口実でネット言論管理→言論弾圧へ>
このなりすまし防止で公民権停止という刑法処置は明らかに憲法違反。
「基本的人権の尊重」もなにもあったものではない。
こんな簡単に刑法を改悪するようなことは、憲法違反である。

ちなみに憲法という言葉は、
「なりすまし防止」という口実で、個人情報を完全に管理して
言論の自由を奪うことが目的であると推定される。
「なりすまし防止」という以上、本人確認を徹底させるために国民監視背番号制度を導入してネットに接続するときは、その国民監視背番号IDカードを通すようにするはず。

韓国は実際にそれをやっている。
http://www.47news.jp/CN/201302/CN2013021001001892.html
実際には、言論弾圧が目的である。いったいどこの人間が
政治家になりすますというのだ。何のメリットもない。
これは 架空の口実をでっちあげて、言論監視をしたいのでる。

<郷原氏も大きな問題があると指摘している>

郷原氏のツイッターでは
http://twitter.com/nobuogohara
一昨日から裏磐梯で開かれていたG1サミットに参加。次の参院選までに実現する見通しのネット選挙解禁に関して、日本の公選法はルールの内容が曖昧である上に、違反の摘発が警察、検察の裁量に委ねられている法執行面に大きな問題があることを指摘。

かくかように・・・(^^;)
何処を向いても

民主主義とは名ばかりの
閉塞感いっぱいな

この国の有り様では
なかとばい?(@@;)

されば・・・と言って

「・・・・・わがなりに すまして見する 谷川の水」  良寛

のようであれば
いいな・・・では

済まない
ワタクシのこころ・・・・(^^;)

ようするに

あわわあわわと
言っている内に

濁流とともに
流されて

一巻の
おわり・・・・が

我が人生・・・・

ちゅうことで
ありましょうか・・・・(^^;)(^^;)

春告げる魚

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神戸 10℃ 4℃

春告鳥はウグイス。
春告草は梅の花。
では、春告魚はなんでしょう?

植物や鳥なら答えは一つですが、
魚の場合は複数回答だったりするんです。
 
一昔前なら春告魚といえば、 ニシン。
『ニシン来たかとカモメに問えばぁ』とソーラン節で歌われる、あのニシンです。
ニシンの旬は春です。北海道、蝦夷地ではニシン漁で冬が明け、春の訪れを感じたところから、春告魚と呼ばれました。
ニシンが多かった日本海沿岸では、春になると海岸に酒を捧げた祭壇を設け、「木幣」(イナウ)を立ててニシンを迎える祭りをしました。また、アイヌ人もニシンを「神魚」(カムイチェップ)と呼び、崇めていました。
 このように、以前は日本人にとって、大変身近でとても重要な資源であったのですが。
海洋環境の変化や乱獲などが原因で、国産のニシンはその数が激減。今では「幻の魚」と言われる存在になってしまいました。
 
そのニシンに代わり、春告魚と呼ばれるようになったのがメバルです。
釣に興味がある方に春告魚と聞けば、おそらくこちらの名前が返ってくるでしょう。
メバルは、北海道から九州まで、日本列島沿岸の岩の多いところに棲んでいます。この魚は一年中とれるのですが、旬は春から初夏にかけて。産卵の為に早春に浅場にやってくるのです。
 
またインターネットで検索してみると……。
瀬戸内海ではイカナゴが春告魚。
魚編の春と書いて、サワラ(鰆)が春告魚。

どうやら、春告魚は地域や時代によって異るようです。
それでも春を感じとることができる魚を見かけると、人は「春告魚」と呼び親しみを感じたのではないでしょうか。

あなたにとっての春告魚は、いったいどんな魚ですか?

・・・・・

以上が
「春告魚」で
検索したら

出てきた文章で
その通り!

と感心しましたので
全文、転載いたしました!!(^^)

最後の
ワタクシにとっての
春を告げる魚は

なんと言っても
イカナゴであります!!!(^^)(^^)

イカナゴ漁解禁は
この月の終わり頃でしょうから

あと
半月先であります!!(^^;)

とても
待ち遠しくて

昨日も
魚屋さんを覗いてきましたが

当然・・・・姿形は
ありませんでした!(^^;)(^^)

しかし

スーパーには
もうかれこれ・・・一週間くらい
前から出ています!(^^;)

ただし・・・解凍と
カッコつきのものです!!(^^;)(^^;)

これが
なんとも

不味い!!!(@@;)

すかすかの
かすかす!!!(^^;)

何度か・・・今年ではありませんが
だまされて買って
失敗をしたことがあるので

二三年前から
見向きもしませんが・・・・

この時期になったら
顔を見せる
冷凍ものです!!(^^;)(^^;)

そうではなくて
とれとれぴちぴち・・・イカナゴの
新子の釜揚げが

あと二週間後には
ワタクシの
この口に
入るかと思うと・・・・(@@)

生唾が出てくる
今朝の

物思い・・・・・(^^;)(^^)

食べた魚

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神戸 8℃ 0℃

友達とのメール交換で
「カワハギ」の話が出ました・・・・(^^)

カワハギの季節・・・・というか
カワハギがワタクシ達にとって
釣れ出すのは8月からなので

カワハギの季節は
夏・・・・と言うのが
ワタクシの意見!(^^)

友は、鍋の具に
よく店舗に顔出しているのは今!

だから・・・冬・・・・との意見!(^^;)

で、

あとから
ネット検索で

夏 俳句歳時記 季語 カワハギ

と調べると・・・

ワタクシが正解!!!(^^)(^^)V

ただし・・・

河豚を調べると
冬となっていましたので

彼女は河豚の肝とカワハギの肝を
同等に見ていたことがわかり・・・・

ま、両者、痛み分け・・・
と言うことにいたしました!(^^)(^^)

かくかように・・・
実際、それぞれ
鯵・鯖・鮭・鮪・鰤・・・と考えてゆくと

その本来の季節が何時なのか・・・?
この頃、ほんに

あいまいな
状況になって来ていると
思わずに居れませんでしたナ!(^^;)

・・・・・

ところで
お話しは
ちょっと
飛ぶような具合ですが・・・(^^)

最近・・・ワタクシが
食べた魚達を

ここに
書き出して見ます!(^^;)

鯵の開き
鰤の照り焼き
秋刀魚の開き
塩鯖
鰯の煮つけ
鯖の生姜煮
塩鮭
キハダマグロの刺身
おつまみセット(サーモン・鯛・ハマチ・マグロの赤身などの切れ端)

以上・・・・・(^^)

ここで
お解かりかと思いますが

すべて・・・魚屋さんで
買い求めたものばかり!!!(^^;)(^^)

釣ってきた魚が
一匹もありませぬ!!(^^;)(^^)

ガシラ・アイナメ・メバル・・・・などが
ワタクシの口に入るのは

あと二、三ヶ月
先・・・・・

であることよ!!!(@@;)

と言うことを
今日は

言いたかった
わけで・・・・・・(^^;)(^^)

えひめ・みかん・あさぼらけ

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神戸 8℃ 3℃

昨晩・・・というか
日付が替わってから・・・というか(^^;)

なかなか
眠りがやって来なかったからか?

えひめ・・・
みかん・・・って

漢字でどう書くのだったか?

????(@@;)

字が像を結ばず・・・・(^^;)(^^;)

そうこうしていると

百人一首の

あさぼらけ・・・て
二つあったけれど

うじのかわぎりたえだえにあらわれわたるせぜのかわぎり・・・は
思い浮かんだけれど

もう一首が
サッパリ浮かんでこない・・・・・(^^;)(^^;)

んだもんで・・・????

もんもんと
致しまして・・・・(^^;)

それでも
なんとか

眠りが深くなったなと
安心したところで

イロハに
可愛いく・・・・・にゃあ・・・と
鳴きつかれて・・・

目覚めざるを
得なくなったのが

AM3:00でして・・・・(^^;)

ま、床離れが
決して苦手でないワタクシは

いつもの行事を
こなしたあと・・・・(^^)

さっそく、パソコンで
?????の解消を
図りましたゾナ!(^^;)(^^)

パソコンの
何と言う・・・すばらしい・・・・

機能!!!(@@)

「愛媛」

「蜜柑」

「ありあけのつきとみるまでによしののさとにふれるしらゆき」

さっさっさあ~~~~~と
答えが

出ました!!!(@@;)(^^)(^^)

わかりやすぅ~~~~

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神戸 9℃ 3℃

昨日は
今季初めて、腰にホカロンを貼って
寒さを凌ぎました!!(^^)(^^)

なんせ・・・
一階の室温は
灯油ストーブ二台をつけて

6℃から・・・・ようやく
9℃・10℃といったところでしたので!!!(@@;)

そして
ホカロンの他には
毛糸の帽子も必要でした!!(^^;)(^^)

で、午後2時頃・・・
この日の最高気温6℃(外気の温度)

と、なったところで
二階へ移動!

イロハにハロゲンヒーター・・・独占していただき
ようやく

このような
彼女の安らかな
表情が得られた・・・・と言うことで

出た・・・

言葉が

わかりやすぅ~~~~~

ありました!!!(^^;)(^^)

以下にも
わかりやすぅ~~~~と
思った

ネットからの
論説も貼り付けておきます!!!(^^)

・・・・・・・・・

中国の大気汚染の「深刻さ」を、テレビが煽っている。
しかし、PM2・5なんてのは、車や工場の排気ガスだ。
しかも、はるか遠く離れた中国大陸の公害ガスだ。
そんなモノ、日本に来るまでに濃度は激減してしまう。
鷲は九州各地を玄米の買い付け商売で駆けまわっている
が、市街地の道路の排気ガスのほーが、モーモーだ。

なぜ?今年になって突然、PM2・5!などと騒ぎだしたか?
マスコミに指令を出して煽らせている勢力がいるのでR。
どこかのブログのコメント欄に、ズバリ↓書いたヒトがいた。
被爆してガンになったとしても、東電も、政府も、
マスコミも、中国の責任に出来る。
そりゃ連日煽るわなーー。
まぁ、こんなところが正解鼠こと鴨寝。

それにしても石原ノビテル君、張りきってる罠ー。
放射能の注意報なんかはオクビにも出さなかったクセに、
「緊急行動計画」だって夜。
国民の健康を本当に心配してくれてるんるん♪なんだ猫。

あ"ーーー ありがたい、ありがたい。
涙が出るほど、ありがたい。

・・・・・・・

◆安倍晋三首相、麻生太郎副総理(財務相)、甘利明経済財政政策担当相、竹中平蔵慶大教授(産業競争力会議メンバー)らが、公正取引委員長、日本銀行総裁人事について、「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)参加」に理解のある人物を就任させようと謀っている。「TPPシフト」である。
 安倍晋三首相は、今月下旬に予定している訪米、オバマ大統領との首脳会談では、内々に「TPP参加」の意向を伝え、公式的には、「慎重発言」する。7月21日予定の参院議員選挙に向けて「TPP参加」を正式表明すると、選挙に敗北するおそれがあることを説明して、理解を得る。
 しかし、「TPP参加」の本心を担保するために、公正取引委員長、日本銀行総裁人事について「TPPシフト」を訪米前に示しておくということだ。
◆公正取引委員長は、「国会同意人事」である。
 いま、安倍晋三政権が、国会で同意を得ようとしているのは、みずほ総合研究所の杉本和行理事長(元財務事務次官)である。
1950年9月13日 兵庫県生まれ
1974年3月 東大法学部卒
1974年4月 大蔵省入省
1997年7月 同省 主計局法規課長
1998年7月 同省 大臣官房調査企画課長
2000年4月 内閣総理大臣秘書官事務取扱
2001年1月 内閣総理大臣秘書官
2001年4月 財務省主計局次長
2005年7月 同省 大臣官房総括審議官
2006年7月 同省 大臣官房長
2007年7月 同省 主計局長
2008年7月 財務事務次官
2009年7月 財務省退官、同省顧問
2010年1月 東京大学公共政策大学院教授
2010年5月 みずほ総合研究所株式会社 顧問
2011年3月 弁護士登録(現任)
2011年4月 みずほ総合研究所株式会社 理事長(現任)
TMI総合法律事務所 客員弁護士(現任)
2011年6月 伊藤忠商事取締役に就任

 杉本和行理事長は、常々「TPP参加をはじめとする国を開く方策は日本が進むべき方向であり、既存の制度枠組みを変革し、グローバル化に対応した経済構造を再構築する必要がある」と説いている。

※参考記事
2012年 03月 13日 13:56  ロイター
TPPも視野に国を開き、制度枠組み変革を=杉本和行・みずほ総研理事長
2012年10月4日 16:12 日本経済新聞
「TPPで海外事業強化」 景気討論会で杉本氏

 みずほホールディングスは、日本興行銀行、富士銀行、第一勧業銀行が合併してできた金融機関である。このなかの日本興行銀行は、安倍晋三首相とは因縁浅からぬ銀行である。叔父(父・安倍晋太郎元外相のタネ違いの弟)である西村正雄氏が頭取を務めている。
◆日本銀行総裁も「国会同意」人事である。現在、数人の候補者が下馬評に上がっている。このなかで、有力紙されている1人が岩田一政副総裁である。
1946年10月17日 東京都大田区生まれ
1969.8 国家公務員試験上級(甲・経済)合格
1970.3 東京大学教養学部教養学科卒
1970.4 経済企画庁採用(長官官房秘書課)
1972.6 キール大学世界経済研究所留学(西独政府交換留学生)(~1973.9)
1973.10 経済企画庁経済研究所主任研究官付
1974.4 同 経済研究所研究官
1976.4 OECD経済統計局金融財政政策課
1979.9 経済企画庁調整局国際経済第二課主査
1979.10 同 調整局国際経済第二課課長補佐
1981.8 同 調整局調整課長補佐
1982.8 同 調査局内国調査第一課課長補佐
1984.7 同 長官官房調査官
1985.9 同 経済研究所主任研究官、オーストラリア国立大学客員研究員(~1985.12)
1986.10 東京大学教養学部助教授(経済学)
1988.3 アルバータ大学経済学部大学院客員教授(~1988.4)
1988.9 エール大学グロース・センター客員研究員(~1988.10)
1991.4 東京大学教養学部教授(経済学)
1996.4 同 大学院総合文化研究科教授(経済学)
1999.4 同 国際社会科学専攻主任
2001.1 内閣府政策統括官(~2003.3.4)
2003.3 日本銀行副総裁(~2008.3.19)
2007.6 東京大学名誉教授
2008.6 内閣府経済社会総合研究所所長(~2010.9)
2008.9 経済財政諮問会議民間議員(~2009.9)
2010.10 公益社団法人日本経済研究センター代表理事・理事長(現職)
2011.10 国家戦略会議民間議員
妻・岩田喜美枝さんは、厚労省官僚。現在、資生堂副社長

 岩田一政副総裁は、2003年3月小泉純一郎内閣の金融担当相だった竹中平蔵慶応大教授の誘いで副総裁に就任した経緯があり、総裁になれば、竹中平蔵慶大教授の意向にも大きく影響を受ける可能性が大である。
◆ところが、民主党の輿石東前幹事長(参院議員会長)が、杉本和行理事長が公正取引委員長に就任する人事について、「同意しない」とキッパリ発言した。この人事が「事前にマスメディアに漏れたから」というのが理由である。参院では自民・公明両党を合わせても過半数に届かず、野党第一党の民主党が、参院で第1党であることから民主党が反対すれば否決される。
 自民・公明連立与党やマスメディアは、こうした輿石東前幹事長に批判の矢を向けたが、杉本和行理事長が「TPP参加推進論者」であることを理由に反対したならば、必ずしも理不尽な横車とは言えなくなる可能性があるので、「国会同意」は、スンナリとは行かない。
 日本銀行総裁人事についても、やはり同様のことが言える。

耐えるのみ!

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神戸 6℃ 0℃

この寒さ・・・今回の寒さ・・・
何てったって・・・耐えるしか
有りませんバイ?(^^;)(^^)

立春以降の寒さを、「余寒」「残寒」「春寒」などと言いますが、
きょうは、光にさえ春を感じるのは難しいかもですね…

さらに・・・

今回は、寒気を伴った低気圧(寒冷渦)の動きが遅く、
この寒気の渦を中心に、連休中も次々に寒気が入り込みます。

暴風雪のピークは9日にかけてですが、
連休中は、北日本日本海側と北陸で、
強弱があるものの雪が続きそうです。

そして、連休後は、また南岸低気圧が到来。
その後も、2月らしく、南岸低気圧の到来機会が増えそうです。
「雪か雨か」「降水量は多いか少ないか」
悩ましい判断の日が出てきそうです。

・・・・と
予報士さんが
おっしゃっていますので・・・・(^^;)

こういった
状況をも含めて

耐えるしか
ありません!!(^^;)(^^)

そうしたなか
わがこころを慰めるのに・・・

ワタクシは
文藝の持っている力を

信じますゾ!!!(^^)

この句なぞ
それを

もっとも良く証明してくれます!!(^^)V

春の水 山なき国を 流れけり   蕪村

山なき国の
小川のほとりに立って
旅情を

たっぷり

味わいたいなあ~~~~(^^)(^^)

女人(ひと)抱く(いだく) 夢のはかなき 夜寒かな 桃杏

こ、こわあ~~~~

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神戸 4℃ 0℃

さ、さむう~~~~~!!!(^^;)

今日はこころしてかからねば
寒さにつぶされますぜよ・・・・・(^^;)

外出する時には
腰にホカロンを貼り付ければ
少しは

ましかもね!!!(^^)

写真は昨日
午後1時撮影です!(^^)

夕日を浴びたような
画像の赤さは

ハロゲンヒーターの
照射によるものです!(^^;)(^^)

彼女の前・・・50cmほど
間隔をあけて
熱源を置く・・・・という

日ごろの
在りようで・・・・(^^)

そして
そのぽかぽかの運気を受けて
気持ちよく

午睡をとる・・・・のに?

なんで
こんな怖い顔するのか??

わたしゃ
わけが
わからんバッテン!!(^^;)(^^)

外面如来
内面夜叉・・・・・

よりは

ましですけど~~~~~!!!(^^)(^^)

・・・・・・

昨日の抵抗派詩人・安東次男さんの本が
我が家に一冊、文庫本でありました!!!(^^)

「与謝野蕪村」中央公論社版で!!!(^^)

で、蕪村の良い句・・・一つに

出会いました!!!(^^)

「我泪 古くはあれど 泉かな」 蕪村

抵抗派詩人

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神戸 9℃ 2℃

今日はまだ少しは
まし・・・・かな?(^^)

明日は
最高気温5℃ 最低気温0℃と
予報が出ていますので

ゆめゆめ
防寒対策を
怠らないように
しましょうぞ!!!(@@;)

・・・・・

国一つ たたきつぶして 寒のなゐ  安東次男
酒うまし できたおからの 味もよし  桃杏

句ひとつとっても
風格の違いが
わかりますなあ・・・・・・(^^;)(^^;)

人間の立派さは
魂の輝きとその人の
心のはばの広さに
ありましょう!(^^;)

また

わずか俳句一句で
この人って
どんなひと?

縁が結ばれる
不思議さ!!!(@@)(@@)

安東 次男(あんどう つぐお、1919年7月7日 - 2002年4月9日)は俳人、詩人、評論家。俳号は流火艸堂。

出生・経歴 [編集]1919年(大正8年)7月7日岡山県に生れる。小学5年時、一家で神戸に移住。1941年(昭和16年)頃より加藤楸邨の門をたたき、俳句を学ぶ。1942年(昭和17年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。海軍に志願し、敗戦時は、海軍主計大尉。戦後、都立桜町高校社会科教諭、國學院大學フランス語講師など。 1949年(昭和24年)、詩作に転じ、抵抗派詩人として注目され始める。1950年(昭和25年)詩集『六月のみどりの夜は』(コスモス社)翌年6月、第二詩集『蘭』(月曜書房)を、刊行するなど、旺盛に詩や評論を発表する。

40代頃より、深い古典への造詣をふるって、松尾芭蕉の連句評釈を始め、古俳諧・百人一首・和歌・俳諧師・蕪村の伝記などの随想・評論を盛んに記す。

1997年(平成9年)、句集『流』で第12回詩歌文学館賞受賞。

2001年(平成13年)頃から、持病の肺気腫と気管支喘息が悪化。

2002年(平成14年)4月9日、呼吸不全のため死去。享年82。

4月16日、新宿区信濃町の千日谷会堂にて葬儀・告別式。葬儀委員長・中村稔、開式の辞・飯島耕一、弔辞・粟津則雄と大岡信であった。

この方の
随筆・・・・評論

勉強しようと
思いました!!!(^^)(^^)