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江戸時代初期から中期にかけて
長野県北の雪深い飯山の一庵で
老母とふたり暮らしをしていた
「道鏡慧端老師」の病気論・・・・禅宗の垂語(教え)です!
「世の中に智慧のある人の病中ほど浅ましくて、見苦しいものはない。智慧のあるままに過去のことや、未来のことを際限もなくおもいつづけ、看病する人の良し悪しを批判し、昔の知り合いや、友達の僧侶が久しく訪ねて来ぬことを恨み、生きているうちに有名になれぬことを恐れ、死後は長く苦しめらるると思い、郷里を思っては手紙の来ぬことを憤り、神に祈っては感応のおそいことを怒り、目をふさいで臥しているのは感心に物静かだが、胸の中は、九国の合戦よりもさわがしく、心のうちは三途の衆生よりも苦しい。三合ばかりのわずかな病気に、八合五斗の心配をしている」
「およそ、仏道修行の努力のためには病中ほど都合のよいものはない。むかしから賢い人が岩石や谷に身をかくしたり、深い山にかくれ住んだのは世の中との縁を遠ざけ、ちりあくたの俗務を捨てたかったからである。病中の人は、托鉢や労働のつかれる仕事からのがれられるし、使いの役も応答の役もしなくてよい。仲間と無駄話する騒がしさもなく、寺の台所が豊かだか、貧だかも考えず、死生を天にまかせておけばよろしい。ひたすら、正念を忘れないで、生も夢幻、死も夢幻、天上界も地獄も穢土も浄土もことごとく投げうっているなら、いつしか生死の境をこえ、悟りや迷いの境もこえて、金剛不壊の本質を作りあげられよう。これこそ不老不死の仙人にまったようなものだ」
老師は人がきらう病気を
仙人になれるチャンスだと教え、智慧のあるまま、
健常者のようにあれこれ考えるなと
諭されている・・・・・(^^)
ワタクシは赤西さんをかわいそうだかわいそうだ
と、思い続けてきましたが
これは大変な思い違いだったかも知れません!!!(@@;)
上から目線で
見ていなかったか???(^^;)(^^;)
逆転の痛快な発想で
深く考えれば
まったく、健常者としての
迷いだらけを身にまとっているのは
このワタクシの方だった
かも・・・・・(^^;)(^^;)
しかしこのような病気論を
知ることが出来て
ワタクシは非常に
こころが軽くなりましたゾナ!!!(^^;)(^^)