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シベリア抑留(シベリアよくりゅう)は、第二次世界大戦(太平洋戦争)でソ連軍が侵攻・占領した満州(現在の中華人民共和国東北地区および内モンゴル自治区北東部)において、終戦後武装解除し投降した日本軍捕虜及びソ連軍が逮捕した日本人(民間人、当時日本国籍者であった朝鮮人などを含む)らを、ソ連が主にシベリアやモンゴルに労働力として移送隔離し、多数の人的被害を被らせた枢軸国側人の抑留と奴隷的強制労働に対する日本側の呼称。
ウイクペディアからの転載です・・・・
さらに・・・
日本側の調査による死者名簿には約5万3千人が登載されている。ソ連側(現ロシア政府)はこれまでに約4万1千人分の死者名簿を作成し、日本側に引き渡している[11]。従来死者は約6万人とされてきたが、実数については諸説ある。近年、ソ連崩壊後の資料公開によって実態が明らかになりつつあり、終戦時、ソ連の占領した満州・樺太・千島には軍民あわせ約272万6千人の日本人がいたが、このうち約107万人が終戦後シベリアやソ連各地に送られ強制労働させられたと見られている。アメリカの研究者ウイリアム・ニンモ著『検証-シベリア抑留』によれば、確認済みの死者は25万4千人、行方不明・推定死亡者は9万3千名で、事実上、約34万人の日本人が死亡したという。
これも・・・
ソ連側の資料はほとんど隠匿されて
正確ではなく
戦後60数年を経てもなお
実体がよく解っていないのが
実情だそうで
実際の被害、災難は数倍の
人数に及んでいる可能性もありそうだ!
「抑留された捕虜の総数」は、作業大隊が570あったため、当初は総数57万5千名が連行されたと考えられたが、65万人というのが定説である。一説には70万人近くが移送されたと言われ、最高数としては200万人以上との説がある。モスクワのロシア国立軍事公文書館には約76万人分に相当する量の資料が収蔵されている。
他に
米バージニア州ノーホークのマッカーサー元帥記念文書館に、日本軍参謀本部発表のシベリア抑留者総数、272万3492人という
数字を載せた資料があり、これに1945年から49年にかけての
ソ連抑留者の移動票が掲載されていた。それには昭和21年(1946)夏にソ連に居た日本人捕虜は111万1650人という記録が残されていた。
つまり・・・・詳しく調べても
正確な数字が出ない・・・・というのが
歴史の片面にあって
正しい歴史って?
とらえがたい
鵺のようなもの・・・・・しかし!
後世に生を受けたものは
あくまでも
真実とは「何か」を見極める
勉強を
しつこく
続けねばならないと
思う昨日今日で
あります!!!(^^;)
あと二日で
司法・裁判所・検察の
実体が明らかになるスタートの日を
迎えますニャア!!!(^^)(^^)