記事一覧

愚管抄

アップロードファイル 1567-1.jpg

アイコン

神戸 18℃ 14℃

AM2:00ごろ
窓を開けて出てゆくイロハの音を
うつつに聞きながら

「雨が降っているのに・・・」
とも気遣う

ワタクシでした・・・(^^)(^^)

その後

いつ帰ってきていたのか?
はっと気を澄ませば

し~~~んと
枕元で

ワタクシの目覚めを
待っている彼女に

あわてて
部屋の明かりを灯した
しだいでっす!!!(^^;)(^^)

その時間が
AM2:45・・・・・(^^;)

・・・・・・

ウィキぺディアで
「愚管抄」と検索すると

『愚管抄』(ぐかんしょう)とは、天台宗僧侶の慈円著による、鎌倉時代初期の史論書。全7巻。承久の乱の直前、朝廷と幕府の緊張が高まった時期の承久2年(1220年)頃成立したが、乱後に修訂が加えられている。

と、出ていました

慈円の父は
藤原忠道

摂関家の一員の彼は
天台座主を四度もつとめた・・・

その弟子に範宴がいて
それがすなわち親鸞のことで

親鸞の父は日野有範
母は源義朝の娘

征夷大将軍源頼朝は叔父という
ことになる。その彼が

師、慈円のもとを去って
無位無官の念仏僧、法然のもとに
入門。ときに親鸞29歳。

北面の武士である
佐藤義清が僧西行に
なる以上の決意を要したとも
思われる・・・・

・・・・

上のことは
「親鸞と世阿弥」 梅原猛著

の内容の一部・・・(^^)

はい!

現在、親鸞の生涯に
興味深深の

ワタクシです!(^^)

トラックバック一覧

コメント一覧